メイキング・オブ・『バック・トゥ・ザ・フューチャー』 
ホームBack To The Future's Room


 80年代を代表する名作『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズ。
 その土台であるタイム・トラベルの話はボブ・ゲイルの子供時代の経験から来ている。


ボブ・ゲイル(製作・脚本)「話は僕がまだ9歳のころ60年にさかのぼるんだ。そのとき、25年先になったら人間の生活はどう変わるか予測して描いたTV番組を見た。大きな驚きだったよ。85年になったら空飛ぶ車が運転できるんだと思った。未来が待ちきれなくなった。次の年にはH・G・ウェルズの『タイム・マシン』が公開されたんだ。すごく感激して原作の小説を読もうとも思ったんだ。アイス棒で小さなタイムマシンも作ったよ。物語全体のアイデアに夢中になったんだ。タイムトラベルに興味を持ったのはそんなときだ。」

ロバート・ゼメキス(監督)「後になって彼がその話をしたとき、僕も偶然、その番組を見ていたことを思い出した。」

 ゼメキスとゲイルは南カリフォルニア大学の同級生として出会い、その後、脚本を共同で執筆、ゼメキスが監督、ゲイルが製作を務めるやり方で、『抱きしめたい』と『ユーズド・カー』を送り出す。スティーブン・スピルバーグの『1941』も2人の共同脚本だ。2人ともタイムトラベルは常に気を溜めておりタイトルだけは漠然と浮かんでいた。

『ブラウン教授、未来へ行く』

しかし、具体的な物語の掴みとなる部分が見つからず、実際に手掛けることになるのは思いのほか後になった。そしてそれは未来ではなく過去への旅の物語だった。


ゲイル「『ユーズド・カー』が終わって故郷に帰ったとき、偶然父の高校時代のアルバムを見つけたんだ。そこで父が学級委員長だったことを知った。そのとき思ったんだ。僕が同じ高校に通っていたら、父親と友達になれただろうかって。それがヒントだった。」

ゼメキス「親は必ず自分が子どもの頃はもっとしっかりしていたと言うものだろ。それを確かめに行くのは面白いと思った。まじめだったと言っている母が軽い女子高生だったらとかね。」

ゲイル「『過去にタイムトラベルした少年が両親に出会い、母親が息子に恋してしまう物語』。ノートにそう書き留めた。大人も昔は子どもだったという発想した映画は史上初だ。今まで扱われたことのない独創的なテーマだった。」

ゼメキス「コロンビアに持ち込むとアイディアは気に入ったと言ってくれた。すぐに脚本しろと。」

ゲイル「1980年の9月から書き始めて、81年の2月には第一稿が出来上がった。ところが、そこから実現までに3年以上かかったんだ。コロンビアが買わなかったからね。甘すぎる、優等生すぎて品が良すぎる、というのが理由だった。『アニマル・ハウス』みたいな学園コメディを求めてたんだね。ディズニーに持っていったら、と提案された。」

ゼメキス「ディスニーには逆に母親が息子に恋をするような映画はファミリー映画の枠をはみ出すと断られた。こっちでは下品だって。」

スティーブン・スピルバーグ(製作総指揮)「脚本はよくできていた。二人はポップ・カルチャーの滑り込ませ方が絶妙なんだ。それは誰にもマネできない。物語に深みもあって、気に入ったよ。」

ゼメキス「タイムトラベルの到着点が50年代だというのは最初から決めていたわけじゃない。アメリカのティーズ文化発祥の年代が舞台になったのは偶然なんだ。85年にティーンである若者の両親ということで50年代に行き着いただけ。マーティがロックを発明するという場面から、50年でも49年でもなく、55年に決めたんだ。」

ゲイル「脚本は2人で書いた。オフィスにこもってね。カードを作って、それを壁に張っていく。ロックを発明するなら、前半でロックを演奏しなけりゃならない。スケートボードを使うなら、スケボーも見せなきゃ、と1つのシーンが2つなり、たちまちカードではいっぱいになった。脚本には自信があったんだ。スティーブンは手を貸そう、と言ってくれたけど、彼の力を頼むわけにはいかなかった。何しろ、製作総指揮をしてもらった『抱きしめたい』『ユーズド・カー』の2本とも興行的に失敗していたし、僕らが脚本を書いた彼の『1941』も失敗していたからね。」

ゼメキス「またやったら、『E.T.』の名声にも傷をつけることになる、と思ったんだ。結局、ハリウッド中のスタジオ全部に断られた。企画は頓挫した。」

ゲイル「この作品はSFやコメディ、ロマンスと複数のジャンルに渡っているので、映画を1つのジャンルにはめ込みたいスタジオ側から批判も受けたよ。」

 その間にゼメキスはマイケル・ダグラスからの指名を受けて、『ロマンシング・ストーン 秘宝の谷』を監督。この作品の興行的な成功が流れを変えた。

ゲイル「ゼメキスが突然、ヒット作の監督になったんだ。『我々は君が望むとおりの作品を作りたんだ』とみんなラブコールを送ってきた。だけど良いときだけ近寄ってくる連中より、最初に脚本を信じてくれた人に戻ろう、と話し合った。スティーブンがユニバーサルにアンブリンを設立したばかり、というのもあって、そこで製作することに決めた。」

フランク・マーシャル(製作総指揮、元アンブリン・プロデューサー)「誰かもう一人、ゲイルをサポートするプロデューサーが必要だと思った。それでニール・カントンを推薦した。キャスティングには彼の意見がかなり反映されている。」

ニール・カントン(製作)「当時、『バカルー・バンザイの8次元ギャラクシー』を終えたばかりだった。脚本を読んだとき、最初にドク役に思い浮かんだのはジョン・リスゴー。彼が無理だったんで同じく『バカルー・バンザイ〜』に出演していたクリストファー・ロイドを思いついた。イキも良かったし。」

クリストファー・ロイド(ドク役)「最初は断るつもりだった。こうしたジャンルでやる気になるってことは今までなかったし、どうしてもやりたい舞台があったんだ。脚本は危うくゴミ箱に行くところだった。でも会うくらいはいいかなとゼメキスたちと話したら、いつでもかつらをかぶって、デロリアンに飛び乗る気になっていた。アルバート・アインシュタインのボサボサ頭と指揮者のレオポルド・ストコフスキーの動きを足して2で割ったのがドクだ。」

ゲイル「マイケルとクリスの組み合わせは最高だった。撮影中に気づいたけど、クリスはマイケルと同じフレームに映る時いつも少し体を曲げている。独特の親しみやすさはそこから生まれたんだ。」

リー・トンプソン(ロレイン役)「最初にマーティ役に決まっていたエリック・ストルツと『ワイルド・ワイフ』で共演していて、それを見たゼメキスに気に入られたの。映画で女性が演じる役柄は処女と妊婦と母親といわれているけど、この作品では全部演じることが出来て嬉しかった。」

ゼメキス「いろいろあったけどキャスティングは完璧だった。いい役者が揃えば、後は脚本どおりに進めればいい、という気がしてくる。ジョージを演じたクリスピン・グローバーなんて1人であのキャラクターを作り上げたんだから。ただ考えすぎる傾向があって何度か私が止めたこともある。」

ゲイル「特殊効果が多いSF映画だと思われているけど、実際の特殊効果は32ヶ所ほどだけだ。特殊効果班とありとあらゆる時間移動の方法などを考えたけどある時点で気づいた。そんなものは不要だと。時間旅行よりも人間を中心にした物語だからタイムマシンは現実味を持たせる道具に過ぎない。ただタイムマシンで移動したほうが真実味があると思ったんだ。」

ディーン・カンディ(撮影監督)「物語の中心はヒル・バレーの広場だ。そこをどう撮るかそこからプランを練った。」

ローレンス・G・ポール(美術)「80年代と50年代の両方を作る、というのはロケでは無理があった。それでスタジオのオープンで撮ることになったんだ。ライフ誌やルック誌を徹底的に調べたけど、郷愁を呼び起こすように、実際の55年よりも少し古く作った。走っている車も40年代末〜50年代初期の車なんだ。80年代は郊外にショッピングセンターができて街の中心部は寂れてしまう。美しい50年代を撮った後、今度は少し寂しい80年代を撮るという段取りになった。時計台のセットは元々スタジオにあったもので、そこに三角形の時計台のセットを上に新たにつけたんだ。あのネコの銅像も『キャット・ピープル』で使われてたものだよ。」

ゲイル「公開後に、ジョン・Z・デロリアンからお礼の手紙をもらったよ。このころ、スタジオにはタイアップ部門ができたばかりで、多くの売込みがあった。でも使ったのは50年代と80年代でロゴが違っている商品だけだ。コカ・コーラは変わってないけど、ペプシは変わった。シェル石油でなくテキサコにしたのもそのためだ。物語の必要に沿ったんだ。そういえば、レーガンをネタしたのも別に批判をしよう、ってわけじゃなく、俳優と大統領とギャップが面白かったからなんだ。」

マイケル・J・フォックス(マーティ役)「14歳からギターを弾いてたから、演奏のシーンは楽しかったね。尊敬するギタリストたちの特徴的なパフォーマンスを入れることにしたんだ。あの場面が大ウケしてうれしかった。公開後はバーに行くと必ずステージに上げられて、『ジョニー・B・グッド』を歌えと言われた。僕はゴールドディスクをもらって、誇りに思い壁にかけてあるんだけど、本当は歌っているのは僕じゃない(マーク・キャンベルが歌っていた)。」

ゲイル「これは特大ヒットだ、と思ったのは公開2週目なんだ。2週目の観客動員が1週目を上回っていた。公開12週中、11週で1位だった。」

ゼメキス「以来、体験してないよ。この時はもちろん3部作になるなんて夢にも思ってなかった。」