BACK TO THE FUTURE THE RIDE 徹底解説

今は亡きアトラクション『バック・トゥ・ザ・フューチャー・ザ・ライド』のメイキングやその歴史を解説します。
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メイキング〜すべてのきっかけはジョージ・ルーカスの一言〜

 かつて世界中の人々をタイムトラベルの世界へ連れていき、絶大な人気を誇った『バック・トゥ・ザ・フューチャー・ザ・ライド』。そのきっかけとなったのは、意外にもディズニーランドにあった『スター・ツアーズ』だった。
 1986年、BTTFで製作総指揮を務めたスティーブン・スピルバーグは、ユニバーサル・スタジオ・ハリウッドの新アトラクション『キングコング』のオープニングセレモニーに参加した際、ユニバーサル/MCAの開発責任者のピーター・アレクサンダーにこんな話をした。友人のジョージ・ルーカスに誘われ、ディズニーランドに行くと、翌年オープン予定の『スター・ウォーズ』をテーマにしたアトラクション『スター・ツアーズ』に試乗した。そこでデス・スターの周りを高速で飛び回るアトラクションに感銘を受けると、ルーカスからこう言われた。

「ユニバーサルでは決してスター・ツアーズのようなアトラクションは作れない」

 スピルバーグのこの話に、アレクサンダーは激怒。これをきっかけにユニバーサルは『スター・ツアーズ』を越えるアトラクション開発が始めます。アレクサンダーにとっては、ついこの間までディズニーパークのイマジニアを務めていたというのも大きかったでしょう。そこでスピルバーグは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』をテーマにしたアトラクションはどうだろう?と提案。1986年と言えば映画は大ヒット。ユニバーサル・スタジオ・ハリウッドでスタジオを巡る「トラム・ツアー」でもBTTFに登場する時計台が圧倒的な人気を誇っていたのだ。のちに、続編製作中だった脚本のボブ・ゲイルは、この話が舞い込んだ時に「さすがに予想していなかった」と証言している。

期待の大きさがわかる中央に陣取るBTTF

 そして、もう一つユニバーサルが新アトラクションに力を入れた理由は、ハリウッドに加えて新たにフロリダにもテーマパークを作る予定があったからだ。フロリダといえば、世界最大規模の大きさを誇る「フロリダ・ウォルト・ディズニー・ワールド」がある。アメリカの南東のフロリダでディズニーとユニバーサルの直接対決が起きようとしていたのだ。ディズニーも黙って見ている訳もなく、1989年にはユニバーサル・スタジオのような映画をメインにした「ディズニー・MGM・スタジオ(現:ディズニー・ハリウッド・スタジオ)」をオープンしていた。そこにはユニバーサルのお家芸とも言えた「トラム・ツアー」のようなアトラクションも含まれていた。ディズニーの新たなオープンの噂が出た時にユニバーサルはフロリダ建設を凍結していたが、BTTFアトラクション建設計画が浮上してから再始動。ディズニーに対抗できる唯一のアトラクションが、BTTFだと考えられたのだ。

 大きな期待と責任を負わされたBTTFのアトラクションだが、実際のところ計画は構想段階からほぼ進んでいなかった。アレクサンダーを含めたユニバーサルのチームの最初の案では、デロリアン型のジェットコースターが企画されていた。しかし、これではスピードが早すぎてストーリー展開がついていけないということでボツになった。これは個人的な想像であるが、ジェットコースター型のアトラクションになっていた場合、落下と共に時速140キロを突破したということでトンネルのようなとこに入って時間移動しているイメージを出し、抜けると別の時代に到達しているみたいなことにしようとしたのではないでしょうか。

 続いて考えられたのは『スター・ツアーズ』と同じようなライド型のアトラクション。そこで問題となった乗り物そのものである。『スター・ツアーズ』で宇宙船ということで40人ほどを収容できるが、車のデロリアンではどうしても乗れる人数が限られてしまう。乗れる人数が少なくなれば回転率が下がって人々の満足度が下がってしまう。収容人数か世界観をとるかのジレンマに悩む中、それを解決したのがデロリアンを2人乗りから8人乗りとしたことだ。その8人乗りデロリアンを複数台並べて映像に合わせて動かせば多く人を同時に体験することができる。映像に関しては、1986年に開催された「バンクーバー国際交通博覧会(Expo 86)」で、エキスポ・センターとして利用された「サイエンス・ワールド(Science World)」の中に作られたOMNIMAXを利用した。ここにはビル5階の高さに相当する27mの球体状の巨大なスクリーンがあり、観客の視野を見たし没入感のある映像が見せることが可能だった。そこにデロリアンの原型となるライドを置き、実験を進めていた。それまでライド型アトラクションと言えば、映像とシュミレーターが一体型となって動くのが当たり前だったが、映像とシュミレーターを分けることでライドの数を増やせるという点で画期的だった。この時点でほとんどシステムは出来上がっており、巨大スクリーンの前に、3段に分かれたデロリアンを計12台設置(詳しいシステムは別ページで解説予定)。そのドームを2つ、デロリアンを計24台用意し、どちらかのドームがダウンしても1つのドームで稼働が続けられるようになっていた。
 観客が「この映像は自分だけに見えている」と思わせるために細心の注意が払われているが、左右を見れば他のデロリアンが丸見えであり、それはそれでこのアトラクションの味でもあった。友人にライドの感想を聞けば、第一声にこれを突っ込まれたものです。

OMNIMAXがある「サイエンス・ワールド」

12台のデロリアンが並ぶコンセプト・アート

マクギリヴレイ監督提案のコンセプト・アート。ドクの上にダ・ヴィンチの姿が。

 ライドの形は決まったが、それと同時にライドのコンセプトについては難航していた。1988年の春、アトラクション監督として起用されたのはグレッグ・マクギリヴレイ。視覚効果としては『スター・ウォーズ』旧3部作、『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』を担当したリチャード・エドランドが参加した。彼らによって短いデモ映像が作られたが、あいにく技術的な問題もあって満足いくものにはならなかった。BTTFの冒険というより、タイムトラベル紀行の色合いが強かったようである(かつて東京ディズニーランドにあった『ビジョナリアム』に近かったんでしょうね)。脚本のボブ・ゲイルはその映像を見て愕然としたことを覚えている。「最初からよくなかったのが絶対的にアウトだった。…ひどいの一言に尽きた」。スタッフの1人、マーヴルはこう証言している。「空を飛ぶことに比重を置きすぎていた。IMAXということで航空宇宙がテーマをイメージしていたのかも。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のストーリーとはまったく関係ないものになっていた」。マクギリヴレイが描いたコンセプト・アートを見ると、自作の飛行装置で飛ぶレオナルド・ダ・ヴィンチが描かれており、空を飛ぶことへのこだわりの片鱗を見せている。さらに、ストーリーだけでなく映像もカメラの動きとライドの動きがうまく合わず搭乗者たちは酔ってしまった。

 この時からすでに1年以上の開発期間が過ぎていた。プロジェクトはまだ試作段階にも関わらず、ユニバーサルは表向きには自信満々で、1989年7月に『ロサンゼルス・タイムズ』で大々的な宣伝が行われた。
「シートベルトを締めて!ドク・ブラウンが驚異のタイムトラベルカーであなたを人生の旅に案内します!ヒット映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が1991年、ハリウッドのユニバーサル・スタジオであなたを人生の旅に誘うアトラクションとして登場します。ドクのナビゲートで山登りやダイビングやローリング、恐竜時代へタイムスリップを体験し、ライト兄弟と一緒にキティ・ホークから離陸して空で試運転を楽しみ、ロケットでヴェニスまで飛んで、ダヴィンチと一緒に絵筆をとり、ナイアガラの滝を高速で移動する。あなたはドク・ブラウンにピンチ寸前の瀬戸際まで追い込まれ、今度は奈落の底の底のさらに底まで急降下させられる−−想像を絶するスリル満点のタイムトラベル冒険があなたを待ってます」
 1991年オープンと謳っているが、ハリウッドで実際のオープンは2年後の1993年であり、実際のライドとは異なる箇所がいくつかある。マクギリヴレイ監督たちが考えたストーリーがこのような感じであったがわからないが、確かにBTTFのアトラクションというよりは、史実の現場に立ち会うみたいなタイムトラベル紀行的な感じが強い。

 結局ユニバーサルのプロデューサーは、ある人物からの助言を求めた。ダグラス・トランブル監督だ。当時から『2001年宇宙の旅』や『未知との遭遇』、『ブレードランナー』の視覚効果を務めて世界的な名声を得ていた。トランブルは現場を視察し、開発中のアトラクションに試乗した。「実写撮影がおおよその基盤になっていたから、実写で撮るのは無理だとアドバイスした。モーション・コントロールでカメラを完全にコントロールしなければ、でないと正常に見せることはできないんだ。オリジナル版の撮影で明らかだったのは、カメラを動かした時のぶれとストロボがひどすぎるということ。IMAXカメラをドーム内ですばやく動かすと、悪酔いしてしまうんだ」。 そこでトランブルは解決策を提示した。「実写がほとんどない、視覚効果に全般的に取り入れた映画にすべきだと提案し、小型模型を通じてカメラの動きをコンピュータ制御しようと伝えた。そうなるとうちのスタジオに小さな映写室を作り、そこにモーションベースを1台、8人乗りデロリアン1台、IMAXドームスクリーン1基、IMAXプロジェクター1台を設置し、小さな映写室を用意しなければならなかった。乗客を酔わせないようにするため一連の評価作業を行い、カメラの動きと乗り物の動きの関係を研究する必要があったんだ 」

ダグラス・トランブル監督

 さらに、トランブルはライドの構成案も伝え、メインを「タイムトラベルを通じた追跡」とし、乗客がデロリアンを追いかけると、未来の2015年のヒル・バレーなどBTTFで見慣れた風景を移動するというものを提示した。コンセプト・アートや絵コンテまで用意されたプレゼンによって、トランブルの起用が決まった。マサチューセッツ州フーサトニックにあるトランブルのスタジオ「バークシャー・ライドフィルム(Berkshire Ridefilm)」には1500万ドル(PART1ですら製作費1900万ドル)という桁違いの予算と共に、要望した機材とフィルムのすべてが与えられる高待遇だった。これはトランブルへの期待の表れと共に、BTTFのアトラクションがユニバーサル・スタジオにとっては柱中の柱だったのが伺える。
 トランブル起用まで流れを見ると、「デロリアンに乗ってタイムトラベルするアトラクションを作る」って考えると、過去のどんな時代に行きたいとか、空を自由に飛ぶことに頭がいきがちで、バック・トゥ・ザ・フューチャーのアトラクションであることがすっぽり抜けちゃいがちだったってことがよくわかりますね。
 トランブルに潤沢な予算が渡されたとはいえ、フロリダの建設にも膨大なコストがかかり始めていた。そこでユニバーサルはハリウッドでの新アトラクションの建設を延期し、フロリダのテーマパークに全力を注ぐようにした。

トランブル監督の依頼で書かれた溶岩へ落ちるコンセプト・アート


トランブルの悪戦苦闘

 トランブルの方ではライド本編映像の撮影が始まっていた。2015年のヒル・バレーから幕を開ける"時を越える追跡劇"は、続いて氷河期、先史時代のティラノザウルスと遭遇する流れとなっていた。フルCGによる映像などまだ難しかった時代であり、すべての撮影はミニチュアとモーション・コントロール・カメラで行われている。そのため訪れる時代ごとに新たなセットが建てられた。セットを立てる前には、紙でできた小さなセット図を作り、時間の計算やカメラの動きなど、徹底的なシミュレーションをした上でセットが建てられている。

 しかし、撮影はトラブルの連続。まずは導入したIMAXカメラがデカすぎて、建設中にミニチュア・セットに置けないことが判明。そのためこの撮影のために新たに設計された超軽量IMAXアニメーション・カメラが使用されることに。もう1つは、IMAXドームに合うように魚眼レンズでの撮影のせいで、従来の照明やセットデザインでは使いにくいことだった。あまりに広い画角のために照明機材が見切れてしまうのである。そのため2015年のヒル・バレーなど、ほとんどのシーンを夜とした。外に照明機材を置かず、ミニチュアセットの自体に照明として利用した。はっきりと照らすために建物内部のみならず、縮小された街灯やさまざまセットのパーツに照明が仕込まれた。逆に、道路に組み込まれた道路標識が目立つように、道路全体が薄暗くもした。
 ファンの間ではお馴染みだが、この2015年のヒル・バレーのセットでは、時計台の横にスタッフが忘れた紙コップが置かれるミスがバッチリ映っていた。

 ティラノザウルスとの遭遇は、当初の絵コンテ案から考えられており、視覚効果スーパーバイザーのヒロツギ・アオキのオリジナ・コンセプトアートが基盤にされた。 ティラノザウルスの9フィート(約2.7m)に及ぶアニマトロニクス模型は、メカニカル・スーパー・バイザーのケネス・ウォーカーとトム・カルナンにより数か月かけて製作された。当たり前だが、本物のティラノ・ザウルスは8人乗りデロリアンという巨大な乗り物を飲み込めるわけはない。と言いながら、個人的にはライド乗っている最中にそんな違和感を感じたことはなかった。

  撮影が進む中で、トランブルのスタジオに置かれたモーションベース・シミュレータと小さな白黒映写室は大活躍していた。撮影したショットをプログラミングして、カメラがこちらへ、モーションベースがあちらへ動けるように2時間以内に処理が終えられた。スクリーンとモーションベースを組み合わて試写が行われると、素晴らしいと感じることもあれば、畏敬の念を感じることもあり、酔って気分が悪くこともあった。物理的な動きとカメラの動きの完璧な動きが判明するまで、このプロセスは何度も繰り返すことも。おかげで短期間で作業のコツをつかんでいった。

 トランブルが撮影を進めている一方で、肝心のストーリーはまるで決まっていなかった…。



見切れる紙コップ


ドクとビフの追いかけっこができるまで

 ライド本編の映像の撮影は始まってるのに、ストーリーができていなかったのっては驚きですね。2015年のヒル・バレーや恐竜次々と遭遇する中、肝心の誰が乗っているかは未定のままでした。1955年のビフがなんで未来の2015年で「俺の家だぜ」とか言ってるのが謎だったんですが、そもそもビフが乗ってる設定じゃなかったのでああいう齟齬が生まれたんですかね。

 トランブルが撮影の裏で、プロデューサーやユニバーサル・スタジオのクリエティブ・チームは観客をライド体験させるための映像のアイデアを考え始めた。ドクの愛犬アインシュタインが運転するデロリアンを観客が追いかけるストーリー、ドクが2人いて片方のドクをもう1人のドクが追いかけるなんて案もあったという。いずれもボツになるが、ユニバーサル・スタジオは2人のドクと言うアイデアを結構気に入っており、ドクが邪悪なドクの双子の兄弟と対決するというのも考えていた。個人的には、クリストファー・ロイドなら悪ドクを見事に演じ切ったと思うので、面白いアイデアだとは思う。

 困ったプロデューサーはZMプロダクション(Zaloom-Mayfield Productions)なる会社に声をかけた。この会社では3部作のメイキングを描いた『「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の秘密』と、クリストファー・ロイド演じるドクを主役にしたユニバーサル・スタジオ・フロリダのプロモーションビデオを作っていた。ちなみに、 YouTubeでそのフロリダのプロモーションビデオがあったので載せておきます。新しくできたテーマパーク、ユニーバサル・スタジオ・フロリダを訪れるためタイムスリップしてきたドクが、メイクアップやサウンドエフェクトを体験したり、ゴーストバスターズ、E.T.、ジョーズなどの作品に次々と出会う内容。本当に映画の世界に入り込む感じの作り方が非常に好み。

 話を戻して、ZMプロダクションは若い映画監督にストーリーのアイデアを任せた。その人物の名はペイトン・リード。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のメイキング映像と宣伝映像を撮影し、のちに『イエスマン』、『アントマンシリーズ』、『マンダロリアン』などのヒット作を手がける。リードがまず考えたのは、並んで待つ来場者を楽しませるための45分の待ち時間映像を作り、ライドに乗ったらそのまま続きが見れるような構成だった。この時、ユニバーサルはまだ2人のドク・ブラウンというアイデアで粘っていたが、リードは素晴らしいアイデアを思いつく。「2人のドク・ブラウンは3部作のファンにとっていいアイデアとも思えたが、ファンはキャラのイメージが壊れることにも敏感。我々はこの構想が陳腐に思えたので、既にビフという素晴らしい悪役がいるじゃないかと提案してみた。ビフがデロリアンを盗んで、時空を飛び回り、観客はそれを追いかけるという内容だ」。そう、新たな設定や人物などいらない。3部作で作り上げたものを利用すれば良いことに、リードは気づいていた。ビフこそ最高の悪役だと。

  ZMプロダクションは、3部作のメイキングなどを通じてゼメキスやゲイルと信頼関係があったため、リードはこっそりゲイルにこの構想を相談した。その中身にゲイルは満足した。「目を通してキャラクター解釈に間違いがないか確認してほしいと頼まれた。ドクのセリフはほとんど修正不要だった。その頃にはこのアトラクションは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』そのものになっていた。誰かの解釈が入った『バック・トゥ・ザ・フューチャー』ではなかった。彼らが関わってくれて、本当によかったよ。この作品のファンだし、おかしな風に解釈される心配もなかったからね」。こうして、ドクが作った「フューチャー・テクノロジー研究所」にタイムトラベル志願者と訪れた観客の前で次々と起こるトラブル。そして、ゴタゴタから8人乗りデロリアンに乗り込みタイムトラベルの冒険へ出発する我々が知る物語がようやく出来上がった。

  マーク・コーエンと共同で脚本を書き上げたリードの出番はここまで。撮影となってから登場するのは、同じくZMプロダクションの映画監督レス・メイフィールド(代表作は『ブルー・ストリーク』)。メイフィールドはユニバーサル・スタジオ・ハリウッドで、クリストファー・ロイドの全シーンを撮影した。彼が心掛けたのは「映画の登場人物がどこにいるか?」。アトラクションには最新のハードウェアも次々と投入されているが、するべきことは映画のキャラクターを再現し、本編の雰囲気そのままにして、まるで本編の一部として加えられるようなフィルムを作り上げることだった。「ザ・ライド」といえば、トランブルばかりが注目されますが、こうやって脚本や研究所のシーンを撮影した監督たちのこともぜひ知っておいてほしいなと思います。ちなみに、2015年の時計台広場も残っていたのでそのまま流用して撮影もしています。
 トーマス・F・ウィルソンの研究所のシーンももちろんメイフィールドが撮影している。ただ、ウィルソンだけは2シーンだけはトランブルの元で撮影を行っている。1つは、ラストのデロリアンで研究所へ突っ込むシーン。ファンの間では有名だが、研究所に突っ込むシーンでは、別パターンのエンディングとしてビフが肥やしまみれになるのも撮影されている(下記の動画を参照)。結局、1番しっくりきた方ということで、肥やしの方はボツとなった。もう1つが、8人乗りデロリアンのダッシュボードのモニターで流れる運転席に座ったビフだ。セリフは脚本にも書かれていたが、ウィルソンはライドの映像に合わせてアドリブで次々とリアクションしてくれたという。スタッフの間では、撮り直し不要という俳優への最高の褒め言葉である「ワンテイク・トム」と呼ばれた。
 最後に音楽はBTTF3部作も務めたアラン・シルベストリが担当した。


日本の企業「イマジカ」の活躍

 アトラクションの外に飾られていた「スタッフクレジット」。ダグラス・トランブルの名と一緒に「オプチカル・エフェクト/イマジカ・コーポレーション」の記載が。日本が誇る編集所「イマジカ」がライドの最終的な合成や編集を担当している。

 1990年のある日、イマジカの70mmオプチカル合成に「アメリカからオプチカル合成の話が来ている」と伝えられる。それこそが『バック・トゥ・ザ・フューチャー・ザ・ライド』だった。70mmフィルムを使った世界最大のOMNIMAXの映像を仕上げるのに日本の技術が必要とされていたのだ。仕上げが70mm15Pフィルム(わかる人にわかる言い方をすれば、70mmフィルムの15フレーム)であったため、それを仕上げられるSFXに対応するポスプロはハリウッドでもほとんどなかったのだ。さらに、イマジカが現像機やオプチカルプリンターなど70mm用の機材の多くを自社開発していたのも大きかった。
 徹底的な守秘義務の裏で、日米スタッフの総力を結集してライド本編の映像は完成した。最終プリントも日本国内で行われたという。

 個人的にはライドの完成にイマジカが関わっていたと聞いた時は非常に誇らしかった。イマジカとは仕事でも何年も付き合いがあったので、編集所を訪れるたびに「ここがBTTFライドを作ったところか」と勝手に思ってました。 ちなみに、2016年ごろイマジカにBTTFライドの70mmフィルムの現像を個人的に頼んだところ、国内で現像できるところはないと言われたので、現在は70mm関連の機材は持ってないかと思います(そんなの持ってたところで仕事もほぼ来ないですしね)。


オープン〜地球一のアトラクションへ〜

 ユニバーサル・スタジオ・フロリダの命運を握っていた「バック・トゥ・ザ・フューチャー・ザ・ライド」であったが、そもそもこのアトクションを収容する建物の工事が延々と進まず、フロリダのオープンには間に合わないことが判明。しかし、ユニバーサル・スタジオ・フロリダを襲うのはそれだけではなかった。

 1990年6月7日。ユニバーサル・スタジオ・フロリダがオープン。 ところが、開演直前にまさかの停電。『大地震』をコントロールしていたコンピュータがダウンして運行休止を余儀なくされ、さらに『キングコング』や『ジョーズ』といったアトラクションは正常にアニマトロニクスが動かないといったトラブルも発生。『キングコング』に至っては、手動でキングコングを動かしていた時期もあったとか。

 トラブル続きの中で、年が明けた1991年1月、ようやく建物とライドは完成した。オープンの準備は整ったが、念には念を入れるため正式なオープンは5月2日と決め、その間に入念なテストが行われることになった。 いわゆる「スニーク」と呼ばれる、宣伝は一切せずにパークに訪れた人だけが体験できるようにした。現代ではSNSで一瞬にして広まり「スニーク」でも混雑することがあるが、この頃はもちろんそんなことはなく静かなスタートだった。だが、その中に明らかに観光客でも地元の人でもない人がアトラクションに現れた。ディズニーのイマジニアたちだ。偵察に来た彼らをユニバーサルは歓迎し、イマジニアたちはその出来栄えに圧倒された。そして、それは一般の人も同じ。プロデューサーのマーブルは、「90歳くらいの女性が出口で、ぴょんとジャンプしてかかとを鳴らしていたの忘れられない」と語っている。

フロリダのライドの建物

オープニング・セレモニー

オープニング・セレモニー

  1991年5月2日(「フューチャー・テクノロジー研究所」の開所日でもある)。『バック・トゥ・ザ・フューチャー・ザ・ライド』がグランドオープン。セレモニーではマイケル・J・フォックス、メアリー・スティーンバーゲン、トーマス・F・ウィルソン、そしてロバート・ゼメキスが登場した。クリストファー・ロイドも衛星中継で参加。「PART3」で登場したジュール・ヴェルヌ・トレインの前で行われたこのイベントの模様はYouTubeで公開されています。よく撮影した&よく保存していた&ネットに上げてくれたという3重の意味で本当にナイスな仕事をした人だと、勝手に感謝しています。 そして、日本のテレビでもライドのオープンが衛星中継されていました。この映像は本当に貴重ですね。

 
 オープンからライドは大人気。しばらくは「地球最高のアトラクション(The best ride on tahe planet)」と呼ばれるほどあった。クリストファー・ロイドも大満足。「あれは最高だ。4回連続乗ったことがある。さすがに4回目の後は吐きそうになったけどね」。一時期はパークの入場者数よりもライドの乗車数の方が多いというとんでもない現象を起こしていた。『バック・トゥ・ザ・フューチャー・ザ・ライド』のおかげで、「ディズニー・MGM・スタジオ」に入場者数すら上回ることに成功した。ユニバーサルはジョージ・ルーカスの言葉を、見事覆したのです。

ハリウッドのライドの建物 ※管理人撮影(2005年)

 フロリダでの成功を経て、2年後の1993年6月12日。元々同時オープン予定だったユニバーサル・スタジオ・ハリウッドでもオープン。ハリウッドの研究所の建物は、フロリダと異なるデザインとなった。フロリダでは2つのスクリーンを隣同士に作られたが、運用上の欠陥を抱えていたため(2つのショーの振動が互いに干渉し、同時に実行することはできなかったと言われる)、ハリウッドではスクリーンを離れて配置して、中央に待合列とプレショーのエリアを配置する設計となった。そのためライドのラストで、研究所に戻ってくる際に出てくるフロリダの建物とはギャップが生まれてしまっている。さらに、フロリダでの待ち時間が90分近くに及んでいたため、ハリウッドでオープンされる際に、BTTF本編のメイキング映像を使った新規映像、映画監督デイビッド・デヴォスによって3Dアニメで作られたフューチャー・テクノロジー研究所が新たに追加された。最終的な製作費は6000万ドルにも及んだ。
 ハリウッドのオープニングセレモニーでも、マイケル・J・フォックス、メアリー・スティーンバーゲン、トーマス・F・ウィルソン、ロバート・ゼメキス、ボブ・ゲイル、スティーブン・スピルバーグ、ダグラス・トランブルが参加し大々的に行われた。この時、デロリアン・オーナーズ・クラブにデロリアンの提供を呼びかけたところ、30台の予定が100台以上も集まってきた。
 「ザ・ライド」のあまりの人気ぶりにハリウッドで『タイムトラベル・デポ』、フロリダで『バック・トゥ・ザ・フューチャー』というBTTFの専門店までオープン。特にハリウッドでは、ライドの横にレストラン『ドク・ブラウンのフライドチキン/歴史上最高のチキン!(Doc Brown's Chicke / The Finest Chicken of All Time!)』がオープン。アトラクションが無くなったあとも2014年まで営業されていました。動画で店内を見ると、ロイドじゃないドクのタイムトラベルというかほぼ世界旅行しただけの写真が飾ってたみたいです。他にも『ヒル・バレー・ベバレッジ・カンパニー』のカウンターとスナック屋台『スナック・トゥ・ザ・フューチャー』まで作られていた。これらは2005年に当時学生だった自分がハリウッド行った時に撮った写真。当時なんのこっちゃわからないけどとりあえず撮ったもの。

ドク・ブラウンのチキン ※管理人撮影(2005年)

スナック・トゥ・ザ・フューチャー ※管理人撮影(2005年)

 ライドの大ヒットにゼメキスもゲイルも大満足。直接ライドの製作に携わったわけではないが、ゲイルはこんなコメントを残している。「この物語は本当にハッピーハッピーエンドだ。最後に素晴らしい結末を迎えて、高揚感に包まれる。夢のような世界だ!初めて『スター・ツアーズ』にハマった時を思い出した、これがアトラクションの未来なのかと思ったよ。でも、『バック・トゥ・ザ・フューチャー・ザ・ライド』はすべてを上回っていた」。 

その他の製作者達のコメント(ユニバーサル・スタジオ・ハリウッドのオフィシャルVHSビデオ内に収録)
スティーブン・スピルバーグ
「一度は必ず乗ってみたい乗り物ですね。こんなに素晴らしいインタラクティブな乗り物は他にはないと思います。観客はデロリアンに乗って未来(2015年)へ訪ねたり、その後、遠い過去へ連れ戻されたりします。とっても自然な感じする乗り物なんです」
テリー・ウィンウィック(プロデューサー)
「観客を映画のスクリーンの中に誘い込んで、時間を超えてドク・ブラウンの車を乗り回す楽しさを味わってもらいたいと思います。これを実現する為にフライト・シュミレーター、水力学、器楽、コントロールスシステムの最新技術を取り入れ、風、霧など内部の効果を出し、これまでになかったバイブレショーンを与え、これらすべてと最大のイメージを映し出す大画面を組み合せてみました」
ダグラス・トランブル(監督)
「特殊な効果の力を使って観客を違った時代、異なった空間である別の世界に誘い込むのです。過去だとか、現在、そして未来へと、動的に本能的に観客を誘って、4分間の間、別の世界を楽しんでもらうというわけです」
 3名のインタビューが収録されたメイキング映像はこちら(1つ目)。USJができるまでこのビデオを何度も見直ししていました。その他、外部用のプロモーション映像、BTTFが前面に出た当時のCM、スピルバーグやマイケルのインタビューも置いておきます。

         
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