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多くのファンには周知の事実だが、脚本の初期段階ではタイムマシンは冷蔵庫のような箱型だった。また、脚本が最初書かれたのは1980年だったためデロリアンは発売もされていなかった(発売は1981年)。
1984年、ゼメキスたちは脚本の書き直している時にある矛盾に気付く。ドク・ブラウンが自分と一緒に移動できないタイムマシンを開発することは考えられない。そこで解決策として浮かんだのが『車』だった。ゼメキスは最初キャタピラ付きの戦車のようなどこでも走れる車を考えた。しかし、その車は「クールで、かつ人々に驚きを与え、それを目にした子供たち誰もが欲しがる様なものではなければならない」。ジョームズ・ボンドのボンドカーやバットマンのバットモービルのような、観客に衝撃を当たる車が必要だった。 そして、80年代初頭当時のクールな車といえばデロリアンの他になかった。その際にガルウイング式のドアを見て宇宙船と間違えるジョークが生まれた。ゲイルは「独創的で、これを上回るような良い案は出てこないパーフェクトといっていほどのアイデアだった」と述べている。事実、映画に向けて様々な指摘を受けたり、議論を重ねてきたが、デロリアンの決定が覆ることはなかった。しかし、プロダクト・プレイスメント(宣伝タイアップ部門)の担当者たちは、代わりにフォード・マスタングを使うことはできないかと考えていた。そうすれば、フォード社から協賛金をもらえるからと彼らは説明したが、もちろん一蹴された。ちなみに、個人的な予想ではあるがその流れから55年ビフの車は46年型フォードになったのかもしれない。 ータイムマシンのデザインー
最初に取り組んだのは、ストーリーボードを担当していたアンドリュー・プロバートだった(ジョージの初めてSF小説やピーボディの息子が持っていたスペースゾンビの表紙なども手掛けた)。彼は「自分はタイムマシンのデザインもできると」ゼメキスたちを説得してデザインの製作にとりかかった。あがった最初のデザインはとても見た目はカッコよかったが、「機械的」な外見、完璧な仕上げとハイテクを備えていて、あまりに洗練され過ぎていた。ドク・ブラウンが自分の家の車庫で作るものとは言えなかった。ゼメキスとゲイルが求めていたのは「もっと未完成な感じで、手作り感のあるマシン」だった。 そこで次なる人物、ロン・コッブにデザインを託した。彼は『エイリアン』『スター・ウォーズ』『レイダース 失われたアーク《聖櫃》』のデザインを担当しておりゲイルと知り合いだった。彼のスタイルはアンティークものより素朴で、2人が目指しているデザインを完璧に理解していた。ドクが原子炉を車に搭載するならどうするかなど実質的な面を3人は何度も話し合った。また、原子力発電所から重要な要素として冷却口が必要ということで、後ろに大きな冷却口を付けることにした。ドクの性格からして、配線や部品などを取り付ける際に外見なことにあまり時間を割かないだろうと考えて、ケーブルなどは文字通り車の側面に貼付けることにした。 その後、ロンはすぐにデロリアンのデザインを上げると、それは2人を満足させるすばらしいものだった。しかし、彼は不運にもプロジェクトを離れることになり最終的な仕上げを再びアンドリューに託されることになった。プロジェクトを離れた理由はゲイルもあいまいで、ロンが別プロジェクトのために離れたか、彼を雇うだけの予算がなくなったのかの定かではないそうです。アンドリューによる最大の変更点は、2本目の「冷却口」を後部に付け加えたことだった。この2本の冷却口が巨大な排気管のように見え、バランスも取れた一段と見栄えが良くなった。 1984年夏の終わりには、タイムマシンのデザインが完成した。
もう一つ重要だったのが、タイムトラベルの映像化だった。 カメラの前でデロリアンがタイムトラベルする際のイメージ化には、視覚効果スーパーバイザーで当時ILMに所属していたケン・ラルストン(現・ソニー・ピクチャーズ・イメージワークス社長)の助けを求めた。大事にしたのはタイムスリップする際の瞬時性。この作品では時空を越える際は一瞬で、時空を超えている間の(管理人注:ドラえもんのような)表現はしないことになった。彼らILMチームはタイムスリップ際に稲妻が出るといった様々なアイデアを持ち込み、最終的にタイムマシン自ら前方に亀裂を作り出して、その中を走り抜け、後には通り道に沿って炎が残るアイデアが決まった。タイムスリップする際は高熱を出すために炎が残り、逆にタイムスリップした後は低温になっていため車には液体窒素をかけて凍り付いているように表現した。とはいえ、ゲイルはあくまでもリアリティを高めるに必要であって、そこまでこだわる必要がないと考えたという。またゼメキスは物理的効果と視覚効果を組み合わせることで最高の映像ができると考えており、その結果、車に何か光を放つ要素が欲しいと要望し、車にネオン管を巻き付けることになった。 時計台の落雷や光のエフェクトを担当したアニメ監修のウェス・タカハシは「ネアンデルタール人が車のボンネットに座り、アイスピックで時空の構造を破壊していく様な映像」をイメージしたという。 最終的に劇中のタイムトラベル映像は実写と特撮とアニメーションの3つを合成させたもので、以下の様な工程を踏んでいる。 ①車が140キロ(88マイル)に近づくと、裏で技術係が次元転移装置を白く光らせる。 ②車のフロントとサイドのネオン・コイルが青く光る。この効果は後にもっと強烈にした。 ③車の屋根についた装置からアニメで描かれた光の波や粒子が放出される。 ④フラッシュバルブを使った火花の効果によって、デロリアンが時間の壁を越えたことを表す白い閃光が起こる。 ⑤道路に引いた化学薬品に火をつけて、車が残した2本の炎の軌跡を作る。 ータイムマシン・デロリアン製作へー
デザインが決まると、実際にタイムマシン・デロリアンの製作に取りかかった。車の製作はメカニカル効果スーパーバイザーのケビン・バイクとマイケル・シェッフェが担当した。1984年10月、3台のデロリアン購入された。当初、この内の2台は車が故障した際にスタンバイさせておく予備車として想定されており、3台はまったく同じく改造を施す予定だった。しかし、実際に購入してデロリアンを見てみると、車内に映画用の35ミリカメラが入らないことが発覚した。これではカメラを車内に入れての運転席からのショットなど撮れなくなってしまう。そこで3台の車の内、走行用に2台して、1台を車内にカメラを設置するために切断することとなった。 アンドリューのデザイン元に製作が始まったが、デロリアン製作を担当することになったマイケル・シェッフェは「デザインの細部を見ると、部品の明確な指示はなく、抽象的な表現で描かれていた」。そのため彼は軍の中古品や部品販売店、中古品売り場など、車の装飾する部品に遭遇する可能性がある場所を探しまわった。部品を買ってきては、ガレージに戻り「ああでもない、こうでもない」と部品をはめたという。また、デザインに見合う様な部品がない時は、それに代わる素晴らしい代用品まで提供してくれた。あとは技術者も3〜4人雇ってひたすら電気系統をつないでもらった。これらの部品は2台ないし、3台分用意して撮影期間中を耐えられる強度が求められた。この3台はわずか10週ですべて作られた。 この3台のデロリアンは製作者たちの間でそれぞれ<A車>、<B車>、<C車>と呼ばれるようになった。 <A車> この車が内装、外装と共に1番作り込みがされておりデロリアン。基本の撮影はすべてこの車で行われた。 <B車> 主に走行用として製作されたデロリアン。走行シーンをメインとしているため内装はそこまで作り込まれていない。 <C車> 車内シーンを撮影するために輪切りされたデロリアン。フロントガラスに向いたシーンはもちろん、助手席からマーティ横顔を撮るサイドショットなどはすべてこの車から。切断されているため音響ステージ上で、流れる風景をスクリーンに投射しながら撮影が行われた。 元々のスケジュールでは走れる車1台があればいい予定だったが、乗り込むシーンも一緒に撮りたいということになり、まったく外装が同じ車を2台同時に作ることになり大変だったという。さらに、タイムサーキットの時間表時の「月」表示は元々数字だったが、ゼメキスが撮影時に英字表記に変更する言い出したためC車のみ英字表記となった。そのためA車、B車に関しては3部作を通して「月」表記が数字となっている(劇中内でもこの2台が数字表記なのが確認できる)。 ー撮影時の苦労ー
ゲイルが撮影中1番残念だったのは、デロリアンが燃料管理部品に問題があり数シーンで求めていたスピードが出なかったことだった。そこで「アンダークランク(通常のコマより少ないコマ数で撮影すること。これを通常のコマで再生すると速く見える)」という撮影法で解決した。ファンの方ならご存知かと思うが、デロリアンは発売当時から故障が多い車で有名だったが、映画撮影中も故障は日常茶飯事だった。デロリアンでの撮影は数日後には、この車での撮影は時間に余裕をみないといけないことが決まりとなっていた。しまいには機械工のスタッフまで常駐することになったという。その意味では車内にカメラが入らなかったのは不幸中の幸いだった。なぜならそのシーンの撮影では車を走らせる必要がなかったからだ。さらに、ステンレスボディに傷がついたときには切断した余分のフェンダーやパネルから修理することもできた。 有名なトラブルとして、撮影は冬に行われたが、マイケル・J・フォックスのスケジュールも都合もあって夜中の2時〜3時など、もっと冷え込み時期に行われた(大体2〜3℃)。デロリアンのガルウイングのドアは標準的なガス式の支柱によって支えられているのだが、ドアを開けっ放しにしておくと10分〜15分ほどでガスが収縮してドアがゆっくりと閉じてしまった。そのため製作スタッフが各テイクの合間に支柱をドライヤーで温めていた。 ちなみに、マイケル・J・フォックスも相当まいったようである。「あの車が大嫌いだった。堅い金属製のパネルは(ギアを入れる際に)拳をぶつけたら痛くて、骨が折れそうだった。ギアも少ないから力ずくで、変速したように見せかける」(Blu-ray特典映像のインタビューより)。 こうした困難を乗り越えて撮影されたタイムマシン・デロリアンは映画史上に残る乗り物として賞賛された。そして、デロリアンという車は間違いなく『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のおかげで世紀を越えてファンに愛される車となったのだ。 ー劇場公開後ー
映画公開後にはデロリアン・モーター・カンパニーの社長ジョン・Z・デロリアンから直接お礼のファンレターが届いた。ちなみに、デロリアン・モーター・カンパニーは映画公開の頃は既に廃業しており、デロリアンのブランドは新たなオーナーに引き継がれていた。するとそのオーナーからユニバーサルの法務担当宛てに映画の中で許可なくデロリアンを使用したことに対する訴訟をするという手紙が届いた。そこでゲイルはジョン・Z・デロリアンから届いたファンレターを写しを相手に送りつけるとその話はそれっきりなくなった。また、続編が決まると、その新しいデロリアンの会社のトップのある人物からこんな申し出が。「80万ドル支払えば、映画の最後に出てきた様な飛行型デロリアンを作ることができる」。ゲイルは「空を飛ぶデロリアンの撮影には特殊効果を利用するほうがいいと考えている」と返事。彼らが本当に空飛ぶデロリアンを作ることができたかはもちろん不明である…。PART1公開当時には国防総省から「ミスター・フュージョンについて何を知ってるか教えろ」と言われたり、人気作には変な手紙がいっぱい届くんですね。 ー続編のデロリアンー
続編を製作にあたって、デロリアンは新たに3台購入された。PART1で使われたデロリアンは1台とC車は倉庫にあり、もう1台はユニバーサル・ツアー用に展示されており、その3台も再び集められ修理する一方、新たに購入したデロリアンにも初代デロリアンと同じデザインが施された。当時、購入した中古部品を再び購入することは困難だったが、続編は予算が大幅に増えたためオリジナル部品を製作して装飾された。また新たなスタッフとしてメカニカル効果スーパーバイザーとしてマイケル・ランティエリが迎えられた。前回の撮影の反省を踏まえ、少なくとも2台は高性能なフォルクスワーゲンの新しいエンジンと数多くの新部品で完全に改修され、性能とスタミナは改善された。また、PART2の飛行シーン用にファイバーグラス製で作られた軽量な車も製作された。PART3のホワイトウォール・タイヤのデロリアンと列車の車輪の付けたデロリアンがそれぞれ2台ずつ用意されたようです。列車の車輪の付けたデロリアンはB車と新たに購入された1台が使用されている。 また管理人独自の考えではあるが、PART2撮影時は運転席のシーンの撮影用にC車とは別の運転席が作られたのではないかと思っております。PART1時は車内シーンはマーティ1人でよかったが、PART2は最大4人(マーティ、ドク、ジェニファー、アインシュタイン)が乗ったり、助手席側のサイドカット、助手席のドアガラスからのカット、フロントガラス側から車内を撮るシーンなど撮影のパターンが何倍も増えたため新たに用意されたのではないかと。空に浮いている感じも取らないといけないし…(全然違っていたらすみません)。参考までに当時の飛行シーン撮影のメイキング動画を見つけました。これがC車だったのかそれとも新たに作られものなのか。
ー撮影終了後のデロリアンー
まず3部作にわたって活躍し完璧な装飾を持ったA車。こちらは撮影終了後、長年にわたってユニバーサル・スタジオの敷地内に野ざらしで放置されてボロボロの状態だった。そこでボブ・ゲイルがこのA車の修復計画を立ち上げ、ジョー・ヴァルザー、テリー・マタラス率いる熱烈なBTTFファンを集め「タイムマシン修復チーム(Time Machine Restoration)」が発足。2011年から1年かけてA車の修復が行われた。痛んでいる部品を交換したら、その部分はレプリカになってしまうということで、ネジの一本まで修復できるもは修復するというこだわりプロジェクトだった。その様子は30周年Blu-rayのボーナスディスクに収録。その復活したデロリアンは2016年4月20日よりユニーバサルから離れて「ピーターソン自動車博物館(Petersen Automotive Museum)」内にて常設展示されている。残り2台のうち、1台は「ユニバーサル・スタジオ・オーランド」内で機関車タイムマシンと一緒に展示。最後の1台は、PART3にて1955年で改造されたホワイトウォール・タイヤ型で、2011年にオークションに出品されニューイングランドに住む親子が落札。この親子も熱心なBTTFファンで、PART3で実際に撮影で使用されたマーティが乗った4×4のトヨタ車などと一緒に、訪れた見学者向けに公開している。 |